前編に続き、院長の自己紹介後編をお送りします!
さて、セントラルスポーツのインストラクターとして働き始めた僕ですが、最初からスポーツトレーナーのようなことができるわけもありません。
ジムでトレーニングマシンの使い方を指導したり、プールで溺れてる人がいないか監視したり。大学生アルバイトと同じように23歳フリーターは働いておりました。
そんな感じで2年ほど働いていた時、セントラルスポーツとは全く別でスポーツトレーナーの仕事の話が来ました。神奈川県の私立高校「桐蔭学園高等学校」のサッカー部のトレーナーの話です。桐蔭学園のサッカー部は神奈川県内でも強豪で全国大会に何度も出場する名門でした。
そこには、僕以外にも3人ものトレーナーが在籍していました。そこで本格的なスポーツトレーナーとしてのキャリアがスタートしました。
その間にセントラルではパーソナルトレーナーとしても活動を開始。この頃にはアルバイトではなく、セントラルとは業務委託契約をして個人事業主として働くようになっていました。
約2年間、桐蔭学園高校サッカー部で活動をしていましたが、3年目に入ろうとしていたところでサッカー部の監督が交代しました。そのタイミングで僕らトレーナー陣は一斉に契約を切られるという、スポーツ業界では結構ある騒動に巻き込まれてしまいました。
しばらくトレーナーの仕事は無いんだろうなあと思っていた矢先、次の仕事の話が来ます。それが、「明治大学サッカー部」のトレーナーでした。明治大学サッカー部は長友選手などプロ選手をめちゃくちゃたくさん出している超名門大学。毎年プロ選手が出ていました。
そこで働くことになったのが、28歳の冬でした。実はこの話が来る前の年から青葉台で整体院の院長にもなっていました。
つまり、セントラルスポーツでパーソナルトレーナーをやりながら、青葉台で院長をして、明治大学サッカー部のトレーナーになるという、三足の草鞋を履いて生活をしていました。
今思うとよくやってたなぁと。(笑)
明治大学サッカー部でも約2年が過ぎたある日、ついにこのセントラル整体院の話が来ます。
さすがに四つの仕事を掛け持つことは現実的に無理だったので、トレーナー業を一旦お休みするという決意をします。
この決意には、明治大学のサッカー部で働けたことで、プロにいく選手たちを間近でみることができたこと。トレーナーという仕事の本当の厳しさや責任を痛感したこと。選手たちをみていく中で自分はもっと治療ができるようになりたいと思ったことなどがありました。
そして2018年4月にセントラル整体院をオープンしました。この時30歳。
ちなみに現在は、青葉台の店舗も卒業し、セントラル整体院のみ運営しています。
これからもたくさんの方の体の痛みや悩みと向き合い、改善させるために全力を尽くしていきます。
皆さんの心の拠りどころとなる整体院を目指して。
セントラル整体院 院長 牧野